Q.そうぞうさん、訪問看護の経験や、コロナ感染症の流行で感じたことを教えてください。
A.「苦しんでいる人に向かっていく行政を」

 コロナ感染症による死者が大阪府がワーストになったことを悔しく思っています。必ず改善していかなければいけない。私は精神科に勤めていたのですが、精神病院の中での感染者も多かったです。強制的に入院させられているのに、集団の中で三密になって、病棟、そして病院全体に感染が広がってしまう。またコロナ感染症のために入院を受け付けなくなった病院があったり、面会が制限され。家族との関係が遮断され、孤立し、そのために病状が進行したり、そういう被害もありました。

 医療がある一点に集中するのは、アクセスが不便なだけでなく、そこが需要であふれてしまったり、機能しなくなったときに被害が甚大になる、とても危険なことなんです。医療だけでなく、社会資源は脱集中・分散していくべきことがコロナ感染症で明らかになりました。

 また、訪問看護をしていて、最近特に感じるのが、コロナ以降さらに生活が苦しくなっている、貧困が広がっているということです。物価高になっているのにもかかわらず、生活保護や年金など社会保障費が減額になっている。時給の上昇も物価高においつかず、雇用は不安定……女性の自殺が増加しているのも経済的な影響はかなりあると感じます。

 実際に自分が訪問していた方たちの中にも、介護度がそれほどでもなくお元気だった方が、病気が直接の原因というよりは、生活の大変さやコロナの行動制限が重なることで命を落としてしまったり、少ない障害年金で生活し、しかし作業所に元気に通っていた方が、コロナの行動制限のために生活のパターンが崩れてお金がままならなくなったり、病気になってしまったり……。

 お金の問題と、居場所の問題、そして健康の問題が重なると、人はとたんに生きることが難しくなってしまう。亡くなった方に関しては、もっと早くに手が差し伸べられていたらと感じます。行政が市役所の中で、医療が病院の中で、福祉が施設の中で、待っているのではなく、在宅・地域の苦しんでいる人に向かっていく体制(アウトリーチ)づくりが必要です。

 そして、同時に大切なのが、緩やかな人の繋がりの中で助け合っていける関係性があることです。お金と、居場所と、健康、それらの一つがフォローされるだけで、状況は一変します。趣味の家庭菜園があり、相談できる知り合いがいて、収穫物を交換しあえて少し家計が助かる、それだけで全然ちがう。月一回の子ども食堂が有効なのは、月一回の食事が確保できるということ以上に、そこで育まれた関係が、相互支援のネットワークに発展していくからなのです。多様な資源が分散して用意されていて、アクセスしやすく、その地域の事情にそった関係がある。そんなネットワークづくりも市の大事な仕事と考えます。